小説家になるには?
夢を追いかけている人のためのブログです 小説の創作方法や文章の書き方などを考えていきます
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小説家になるには、文学も嗜まねばならないでしょう。
という訳で、中島敦の『山月記』を読みました。
普段は一度読んだら、それっきりという乱読ばかりしてますが、『山月記』は精読しています。
李徴は高学歴のエリートですが、詩家として名を残そうと現在の一流の職を辞め、詩作に耽るが上手くいきません。
生活が苦しくなり、再び職に就くことになりりますが、見下していた同輩の下で働くことに、自尊心をひどく傷つけらます。
詩家になれず、気が狂い、身を虎へと変貌させたのです。
物語は、虎となった李徴が、友人の袁傪に偶然再会し、自身の経緯を語り、虎となった理由を語るのが主となっています。
作家を目指す私には、非常に感じる部分の多い作品でした。また、短編のためか、文学にしては、比較的分かりやすい内容でした。
「この作品、結局何が言いたいの?」という本もありますが、『山月記』は李徴の言葉を追えば、分かっちゃいますから。
『山月記』を語る時、「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」という単語があります。
しかし、小難しい言葉を使わなくても、次の一文で非常によく作品の内容を表せていると思います。
人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。
前半部分だけを切り取って、名言集に書かれたりしたのを見ました。
しかし、私はこの一文のすべてが好きです。
自分にも当てはまる部分がある言葉です。しっかりと心に刻んで、おきたいですね。