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小説家になるには?

夢を追いかけている人のためのブログです 小説の創作方法や文章の書き方などを考えていきます

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『文才がなくても書ける小説講座』の要約の続きです。
ノートに書いたのが一年くらい前でしょうか。

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3.小説を書く
(1)小説ができあがる仕組み
当人といえでも意識的にはまず結びつくはずもないあちこちの記憶と結びつき、化学反応のようなことを起こし、それまではなかったあらたな記憶を作り出してもくれる。
書くことの中には捨象と同時に、必ず「創作」が入り込む。
書くことがまさしく酩酊状態に身を置くことだから。

二次的な記憶を意識へと浮き上がらせる。
小説を書くうえでは、じつは間接体験から来る二次的な記憶こそが重要なのです。
「言語化された体験」によって得た記憶。小説を書く段になって大いに活躍するのは、この手の記憶です。
小説を書くのに波乱万丈の人生は必要ありません。それは映画を見ることで十分に補うことができます。小説を書くには、何をおいても小説を読むことです。
小説を生み出す精神は、人間への関心、つまりは、その「秘め事」を覗き見ようとするところにあるからです。

映像を写し取る。描写に徹する。これは説明を極力排するということです。
小説は「説明・描写・会話」の三つから成る。読者の「頭」ではなく、「心」に訴えかけることを旨とするジャンル。
説明されて「わかる」のではなく「そこはかとなく感じたい」のです。
特に心理を書くときには、説明によらず描写によってやってほしい。
説明がないからこそ、読者はそこから何事かを読み取ろうとする。
言葉→〈目に見えないもの〉を写し取るのが得意。
芸術は得意分野ではなく、不得意分野に挑む営為です。
小説家は〈目に見えるもの〉をあえて言葉によって描くのです。
描写の場面こそは、小説家の、芸術家としての力量が試される場といえます。

・三つのタブー
接続詞は乱用するとかえって意味がとりにくくなります。
文章の緊張感とも関係し、接続詞を省くことで予断を封じられます。
指示語の多用は、バタ臭い日本語ができあがってしまいます。
副詞……言葉というものは上塗りをすればするほど、色彩はぼやけていくものです。

「展開」だけは欠かしてはなりません。「展開」とは、読者の視座が変化するための工夫です。
小説には世界を反転させ、価値を転覆させる力があると信じればこそ、読者は虚構と知ってその物語に身を侵すのです。

(2)小説の表現
書き手は書いてしまったことの縛りを受けます。
「こう書いた以上は、次にこう書かないとまずいよな」
言葉はまったくの自由の中では飛翔しません。「枷」をはめられて、はじめて創造の翼を広げるものなのです。
①同語反復
②不必要な並列
 くどい印象を与え、正確さも伝わりません。
③自己解説
4⃣独りよがり
 説明は控えろということでしたが、説明不足も問題なのです。
⑤分の成分の欠落
 目的語をいちいち明記すれば野暮ったくなりますが、絶対に落とせない言葉はあります。
⑥言いっぱなし
すぐれた小説に無駄な言葉は一つもないという話です。
文というものがすべて、ほかのどれかと有機的に結びついている。他のどれとも関係しない文というのは原理的にあり得ない。
伏線は事前に用意されるというよりは、事後、その役目を負わされると言ったほうがよいのです。

大胆にはしょった文章、時間的にも空間的にも密度の濃い文章、両方なくてならないのが小説。

あることを語るときに、それを急いでやらない。
①話にリアリティーを持たせる
②「小説内の時間の流れ」を読者の頭に定着させる
〈あらすじ〉と違って、そこには読者が考えたり、たたずんだり、主人公の周辺へと想像を巡らせたりする時間が生まれます。
主人公に感情移入できるかどうかが、主人公が小説内を生きる時間の速度に、読者が共鳴できないことのほうが原因として大きいのではないでしょうか。
「必要な過去」は描くべきですが、回想シーンばかりに時間を割くようなら、そのものを小説にすべきです。

「善人」を最初は歓迎しても、胡散臭いだの人間味に欠けるだのと言って、必ず批判を始めるものです。
問うべきは、主人公ではありません。描く書き手本人です。
書き手がそれを描いている自分を疑わないなら、読者はそれを見抜いてたちまち心をこわばらせてしまう。
「主人公を突き放せ」というのは、「書き手自身が自らを突き放せ、壊せ」ということです。
既成の価値に意義を唱えるのが小説と決めてしまうなら、これも問題です。反社会という「類型」に落とし込まれてしまうからです。
主人公を他者との関わらせることは意外と困難です。
見合うだけの内面や行動が描かれなければ、「無口な傍観者」へ落ち、主人公としての資格はありません。

(3)小説の技
「曰く言い難い微妙なニュアンス」を伝えるのが比喩の仕事です。また、「物語全体のムード、背景を伝える」という働きがある。
比喩が図らずも担う役目には意識的であるべきです。

悲しみを描こうとして、悲しいエピソードで塗り固めれば、読者は悲しくなるかと言ったら、それは違います。

説明に寄りかからない「小説の言葉」というものはあります。
説明的な要素はいっさいない、そういう記述にこそ小説の読者は敏感に反応し、信用していく。

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