小説家になるには?
夢を追いかけている人のためのブログです 小説の創作方法や文章の書き方などを考えていきます
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訂正。
その3の時に袁傪が視点と書いたりしましたが、後に語る焦点化という部分と混同したためです。
3.語り手
語り手が物語世界の外にいる場合は、「三人称の語り」といいます。
『山月記』においても、李徴、袁傪と三人称で語られているため、「三人称の語り」に分類してもいいと思います。
1段落目、「三人称の語り、外的焦点化」
2段落目以降、「三人称の語り、袁傪による焦点化」といえると思います。
途中、李徴の語りに入る際に、自分、己(おれ)と、「三人称の語り」から、李徴の「一人称の語り」に交代しながら進んでいるように思うかもしれません。
李徴の語り部分は自身の心情などは一切なく袁傪に語った内容に終始しており、鍵括弧の省略と考えると「三人称の語り」を維持しているといえます。
枠物語
李徴の語りが度々挿入され、枠物語とまったくいえなくもないかもしれません。
信頼できない語り手
李徴を語り手とするかは議論が必要ですが、李徴が語り手とすると信頼できるとは言い難いです。
虎になった夜の話に若干の差異があります(後述)。
人食い虎となり、一日に数時間しか人間の思考にならないといいます。
旧友に会い、頼み事をきいてもらいたい立場です。
4.焦点化
語り手が語る内容は、見たことだけでなく、聞いたことや考えたこと、推測したことなど、さまざまな認識手段による多面的情報が含まれます。また、語っている人の位置と、眺めている人の位置とは、必ずしも一致するとはかぎりません。
語り手は、別の人が見たことを語ることもあります。
誰が語っているか、誰が見ているかという問題を区別し、「見る」という行為を「焦点化」という概念で規定しています。
見ている主体を「焦点人物」と名付けました。
「全知の語り手」の声で語られていても、つねに外的焦点化が起こっているとはかぎらず、内的焦点化の方法で語られている場合もある。
焦点人物が変わってゆく場合を、「不定内的焦点化」という。
『山月記』においては、袁傪に焦点が当てられ、李徴の語りでは李徴に焦点が当てられています。
同じ出来事が複数の焦点人物によって語られる場合を「多元内的焦点化」と呼ぶ。
同じ出来事が二度語られている場面があります。
李徴が虎になった夜のことです。
一年の後、公用で旅に出、如水のほとりに宿った時、遂に発狂した。或夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇の中へ駆出した。彼は二度と戻って来なかった。
今から一年ほど前、自分が旅に出て如水のほとりに泊った夜のこと、一睡してから、ふと眼を覚ますと、戸外で誰かが我が名を呼んでいる。声に応じて外へ出て見ると、声は闇の中から頻りに自分を招く。覚えず、自分は声を追うて走り出した。
李徴の視点から、虎になった夜が語られます。
叫んだ部分が語られていません。無意識に叫んでいたため覚えていないのか、一年経ったことで忘れてしまったのか、些末だと考え省略したのか、都合が悪くてあえて語らなかったのかは分かりません。
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